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↓↓2017年8月15日の光復節に文在寅大統領が行った記念演説の全文和訳です。
尊敬する国民の皆さん、独立有功者とご遺族の皆さん、海外におられる同胞の皆さん、
ロウソク革命で国民主権の時代が開いてから初めて迎えた光復節です。今日、その意味がことのほか深く迫ってきます。
国民主権はこの時代を生きる私達が初めて使った言葉ではありません。100年前の1917年7月、独立運動家14人が上海で発表した大同団結宣言は、国民主権を独立運動の理念として闡明しました。庚戌国恥(日韓併合)は国権を喪失した日ではなく、むしろ国民主権が発生した日だと宣言するとともに、国民主権に立脚した臨時政府の樹立を提唱しました。遂に1919年3月、理念と階級と地域を超越した全民族的抗日独立運動を経て、この宣言は大韓民国臨時政府を樹立する基盤となりました。
国民主権は臨時政府の樹立を通じた大韓民国建国の理念となり、今日私達はその精神を継承しています。このようにして、国民が主人の国を作ろうという先人達の念願は100年という歳月を受け継がれ、ついにロウソクを持った国民の実践につながりました。
光復は与えられたものではありませんでした。「姓名三字」まで全てのものを奪われても、自由と独立の熱望を守り通した三千万の民が取り戻したものです。民族の自主独立に命を捧げた先烈達は言うまでもありません。独立運動で死んだ子供の服に継ぎ当てした母も、日帝の目を逃れて夜学で母国語を教えた先生も、母国の伝統を守り通し小遣いを補填した人々も、全てが光復を作った主人公です。
光復は、抗日義兵から光復軍まで、愛国先烈達の犠牲と献身で流された血の代価でした。職業も、性別も、年齢の区別もありませんでした。義烈団員でありかつモンゴルの伝染病を根絶させた医師、李泰俊(イ・テジュン)先生、間島事件の取材中に行方不明になった東亜日報記者、張徳俊(チャン・ドクジュン)先生、武装独立団体「西路軍政署」で活躍した独立軍の母、南慈賢(ナム・ジャヒョン)女史、科学で民族の力を養おうとした科学者、金容瓘(キム・ヨングァン)先生、独立軍決死隊の団員だった映画監督、羅雲奎(ナ・ウンギュ)先生、私達には余りにも多くの独立運動家達がいました。
独立運動の舞台も朝鮮半島ばかりではありませんでした。1919年3月1日、沿海州と満州、米州とアジアの随所でも一斉に大韓独立の喚声が鳴り響きました。
抗日独立運動のこれら全ての輝やかしい場面の数々が、先の冬、全国津々浦々で、そして私達の同胞がいる世界のあちこちで、ロウソクとして生き返りました。私達の国民が高く掲げたロウソクは、独立運動精神の継承です。
偉大な独立運動の精神は民主化や経済発展として蘇り、今日の大韓民国を作りました。そのプロセスにおいて犠牲となり汗を流した全ての人々、その一人一人が今日のこの国を作った貢献者です。
今日私は、独立有功者とご遺族の皆さん、そして各人ならではの抗日で暗黒の時代に打ち勝った全ての人々に、またロウソクで新しい時代を開いてくれた国民に、改めて深い尊敬と感謝の意を表します。
また私は、今日私達が記念するこの日が、民族と国に迫り来る困難と危機に立ち向かう勇気と知恵を反芻する日となることを希望します。
尊敬する独立有功者とご遺族の皆さん、
慶尚北道安東に臨清閣という由緒ある家があります。臨清閣は、日帝強占期の前に家産を処分して満州に亡命し、新興武官学校を建設し、武装独立運動の土台を作った石洲 李相龍先生の本家です。実に9人の独立闘士を輩出した独立運動の揺籃であり、大韓民国のノブリス・オブリージュを象徴する空間です。彼に対する報復として日帝は、その家を貫通するように鉄道を敷きました。99間の大邸宅だった臨清閣は今も半分になった姿のままです。
李相龍先生の孫達は解放後、大韓民国で孤児院暮らしをしました。臨清閣の姿がまさに私達が想起すべき大韓民国の現実です。日帝と親日の残滓をきちんと清算できず、民族の英気を正しく養うことができませんでした。
歴史を失えば根っこを失います。独立運動家をこれ以上忘れられた英雄にしてはなりません。名誉だけの報勲に留まってはなりません。
独立運動をすると3代が滅びるという言葉が無くならなければなりません。親日加担者と独立運動家の地位が解放後にも変わらない、という経験が、不義との妥協を正当化する歪んだ価値観を作りました。
独立運動家を無視する国の姿勢を完全に刷新します。最高の尊敬と礼儀で報います。独立運動家の3代まで礼遇し、全ての子女と孫の生活を支援し、国に献身すれば3代まで礼遇されるという認識を作ります。
独立運動の功績を後孫達が記憶するために、臨時政府記念館を建立します。臨清閣のように独立運動を記憶できる遺蹟地はすべて探し出します。忘れられた独立運動家を最後まで発掘し、海外における独立運動の遺蹟地を保全します。
この機会に政府は大韓民国の報勲の土台を完全に新しく築きます。大韓民国は、国の名を守り、国を取り戻し、国の呼びかけに喜んで応えた人々の犠牲と献身の上に立っています。その犠牲と献身にきちんと報いる国を作ります。
若い日々を国に捧げ、もう高齢になられた独立有功者と参戦有功者に対する礼遇を強化します。生きておられる間、独立有功者と参戦有功者の治療に国が責任を持ちます。参戦名誉手当も引き上げます。
有功者の最後の一人までが、大韓民国の胸は温かく光栄だったと感じられるようにします。殉職軍人と警察、消防公務員の遺族に対する支援も拡大します。それが私達すべての誇りになると信じます。
報勲により大韓民国のアイデンティティを明確に確立します。愛国の出発点が報勲となるようにします。
尊敬する国民の皆さん、
過去の歴史において国が国民を守れず、国民が甘受するしかなかった苦痛とも向き合わなければなりません。
光復70年が過ぎても日帝強占期における強制動員の苦しみが続いています。これまで強制動員の実像は部分的に明らかになりましたが、未だその被害の規模が全て明らかになったわけではありません。
明らかになった事実はそのまま解決に向けて進め、不十分な部分は政府と民間が協力し、残らず解決しなければなりません。今後南北関係が解決すれば、南北が共同で強制動員被害の実態調査を行うことも検討されるでしょう。
解放後にも帰国できなかった同胞が多くいます。在日同胞の場合は国籍を問うことなく人道主義的な次元から故郷訪問を正常化します。今もシベリアやサハリンなどのあちこちに強制移住や動員が残した傷跡が残っています。それらの方々とも同胞の情を分かち合います。
尊敬する国民の皆さん、独立有功者とご遺族の皆さん、海外同胞の皆さん、
今日の光復節を迎え、朝鮮半島を巡って続いている軍事的緊張の高まりが私達の心を重くします。
分断は、自らの力で自らの運命を決定できなかった植民地時代が冷戦の間隙に残した不幸な遺産です。しかし今、私達は自らで自らの運命を決定できるほどに国力が増大しました。朝鮮半島の平和も、分断の克服も、私達が自らの力で成し遂げていかなければなりません。
今日の朝鮮半島の時代的召命は、言うまでもなく平和です。朝鮮半島平和政策を通じた分断の克服こそ、光復を真に完成するものです。
平和はまた、私達の当面の生存戦略です。安保も、経済も、成長も、繁栄も、平和なくしては未来を保証することができません。平和は私達だけの問題ではありません。朝鮮半島に平和がなかったなら北東アジアに平和がなく、北東アジアに平和がなかったなら世界の平和が破壊されます。今世界は恐怖の中でその明確な真実を目撃しています。
今私達が行くべき道は明確です。全世界と共に朝鮮半島と北東アジアの恒久的平和体制構築という長い道程を進みはじめることです。
当面の最も大きな挑戦は北朝鮮の核とミサイルです。政府は現在の安保状況を非常に厳しく認識しています。政府は、堅固な韓米同盟を基盤に、アメリカと緊密に協力しながら安保危機を打開します。しかし、私達の安保を同盟国にのみ依存することはできません。朝鮮半島問題は私達が主導的に解決しなければなりません。
政府の原則は確固としています。大韓民国の国益が最優先であり正義です。朝鮮半島で二度と再び戦争が起こってはなりません。朝鮮半島における軍事行動は大韓民国だけが決定でき、誰であっても大韓民国の同意なく軍事行動を決定することはできません。政府は全てのものにかけて戦争だけは防ぎます。いかなる紆余曲折を経たとしても、北の核問題は必ず平和的に解決しなければなりません。この点で私達とアメリカ政府の立場は変わりません。
政府は国際社会において平和的解決の原則が揺るがないよう、外交的努力を一層強化します。国防力を後ろ盾にした強固な平和のために、私達の軍をより強く、より頼もしく革新し、強固な防衛力を構築します。一方で、南北間の軍事的緊張が状況を更に悪化させることのないよう、軍事的対話の扉も開いておきます。
北朝鮮に対する制裁と対話はどちらが先でどちらが後という問題ではありません。北の核問題の歴史は、制裁と対話が共に進む時に問題解決の糸口が開かれることを見せてくれています。
北朝鮮がミサイル発射試験を猶予したり核実験の中断を闡明した時期は、例外なく南北関係が良好な時期だったことを思い出さなければなりません。そのような時期には米朝、日朝間の対話も促進され、北東アジアの多国間外交も活発になりました。機会あるごとに私が、朝鮮半島問題の主人は私達だと言った理由もここにあります。
北の核問題の解決は核の凍結から始まらなければなりません。少なくとも北朝鮮が追加的な核とミサイルによる挑発を中断しなければ、対話の条件が整うことはありません。北朝鮮に対する強い制裁と圧迫の目的も北朝鮮を対話に導くためであって、軍事的緊張を高めるためではありません。この点でも私達とアメリカ政府の立場は変わりません。
北朝鮮当局に促します。国際的な協力と共生なくして経済発展を成し遂げることはできません。このまま行けば、北朝鮮には国際的孤立と暗い未来があるだけです。おびただしい住民の生存と朝鮮半島全体を逆境に立たせることになります。私達もまた、嫌でも北朝鮮に対する制裁と圧迫をより強めるほかありません。直ちに挑発を中断し、対話のテーブルに着き、核がなくても北朝鮮の安保を心配せずにすむ状況を作らなければなりません。私達が助け、そうした状況を作ります。アメリカと周辺諸国も助けてくれるでしょう。
もう一度闡明します。私達は北朝鮮の崩壊を望みません。吸収統一を推進せず、人為的統一を追求することもありません。統一は民族共同体の全ての構成員が合意する「平和的、民主的」な方式で成し遂げられなければなりません。北朝鮮が既存の南北合意の相互履行を約束するなら、私達は政府が変わっても対北政策が変わらないよう、国会の議決を経てその合意を制度化します。
私はずっと以前から「朝鮮半島の新経済地図」構想を明らかにしてきました。南北間の経済協力と北東アジアの経済協力は南北共同の繁栄をもたらし、軍事的対立を緩和させるでしょう。
経済協力のプロセスにおいて北朝鮮は、核兵器を持たなくとも自国の安保が保証されるという事実を自然に悟るようになるでしょう。
易しいことから始めることをもう一度北朝鮮に提案します。離散家族問題のような人道的協力を一日も早く再開しなければなりません。この方々の恨(ハン)を解くことのできる時間があまり残されていません。離散家族再会と故郷訪問、墓参に対する速やかな呼応を促します。
近づく平昌オリンピックも南北が平和の道を一歩進めることのできる良い機会です。平昌オリンピックを平和オリンピックにしなければなりません。南北対話の機会と見なし、朝鮮半島の平和の土台を固めなければなりません。北東アジアで相次いで開催される2018年の平昌オリンピック、2020年の東京夏季オリンピック、2022年の北京冬季オリンピックは、朝鮮半島並びに北東アジアの平和と経済協力を促進できる絶好の機会です。
私は北東アジアの全ての指導者にこの機会を活かすために額を突き合わせることを提案します。特に韓国と中国、日本は域内安保と経済協力を制度化しながら、共同の責任を分かち合う努力を重ねていかなければならないでしょう。国民の皆さんも意を同じくしてくれるようお願いします。
尊敬する国民の皆さん、
毎年光復節が来ると、私達は日韓関係を振り返らざるを得ません。日韓関係も今や二者関係を超え、北東アジアの平和と繁栄のために共に協力する関係へと発展していかなければなりません。過ぎ去った事や歴史問題が日韓関係の未来志向的な発展の足を引っぱり続けることは望ましくありません。
政府は新しい日韓関係の発展のためにシャトル外交を含む多様な交流を拡大していきます。当面の北の核とミサイルの危険に対する共同対応のためにも、両国間の協力を強化しないわけにはいきません。しかし、私達が日韓関係の未来を重視すると言って、歴史問題に蓋をして進むことはできません。むしろ歴史問題にきちんとけりをつけてこそ、両国間の信頼が更に深まることでしょう。
これまで日本の多くの政治家と知識人が、両国間の過去と日本の責任を直視する努力を重ねてきました。その努力の数々が日韓関係の未来志向的発展に寄与してきました。
このような歴史認識が日本の内政状況によって変わらないようにしなければなりません。日韓関係の障害は過去の歴史そのものではなく、歴史問題に対する日本政府の認識の揺れにあるからです。
日本軍慰安婦や強制徴用など日韓における歴史問題の解決には、人類の普遍的価値と国民的合意に基づく被害者の名誉回復と補償、真実究明と再発防止の約束という国際社会の原則があります。私達の政府はこの原則を必ず守ります。日本の指導者の勇気ある姿勢が必要です。
尊敬する国民の皆さん、独立有功者とご遺族の皆さん、海外同胞の皆さん、
2年後の2019年は大韓民国建国と臨時政府樹立100周年を迎える年です。来年の8月15日は政府樹立70周年でもあります。
私達にとって真の光復は、外勢によって分断された民族が一つとなる道を進むことです。私達にとって真の報勲は、先烈達が建国の理念とした国民主権を実現し、国民が主人である国らしい国を作ることです。
今から準備しましょう。そのプロセスにおいて、癒しと和解、統合に向け、過去一世紀の歴史に決着をつけることも可能となります。
国民主権の巨大な流れの前で保守、進歩の区別が無意味なように、私達の近現代史において産業化と民主化を勢力として区別することももはや乗り越えなければなりません。
私達は誰もが歴史の遺産の中に生きています。全ての歴史には光と影があるものです。この点から、個人の生に流入した時代を産業化と民主化に区別することは可能ではないし、意味のないことです。
大韓民国19代大統領、文在寅もまた、金大中、盧武鉉のみならず、李承晩、朴正熙に続く大韓民国の全ての大統領の歴史の中にいます。
私は私達の社会の癒しと和解、統合を願う心から、先の顕忠日における追悼の辞で愛国の価値をお話ししたことがあります。もう過去百年の歴史に決着をつけ、新しい百年のために共同体の価値を再定立する仕事を始めなければなりません。政府の新しい政策基調もここに合わせられています。保守と進歩、あるいは政派の視角を超え、新しい百年に備えて共々に参加してくれることを願って止みません。
尊敬する国民の皆さん、
今日、私達は共に宣言しましょう。私達の前には数多くの挑戦が忍び寄っていますが、新しい変化に適応し、これを切り抜けられるのは、私達大韓民国の国民が世界で最高だと堂々と叫びましょう。大胆に、自信を持って新しい挑戦に立ち向かいましょう。いつもそうだったように、大韓民国の名で一つとなり、打ち勝っていきましょう。国民の国、正義の大韓民国を作り上げましょう。
もう一度、私達の底力を確認しましょう。
国のために自らの全てを捧げた独立有功者の方々に深い尊敬の意を表します。いつまでもお元気で過ごされるよう願っています。ありがとうございました。
2017年8月15日
大韓民国大統領 文在寅
翻訳:K.S
文在寅大統領が15日午前、世宗文化会館で開かれた第72周年光復節慶祝式で、
愛国の志士キム・ヨンファンをテーマにした「お父さん、私のお父さん」の公演を鑑賞中、
赤くなった目頭を拭っている
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